Pink Floyd 'Breathe (In The Air)'

私のプログレ入門はピンク・フロイド『狂気』だった。

 

'Breathe' の Em→A のコード進行に感動した理由のひとつを思い出した。Em の「g、h」と A の「a、cis」がともに長3度で、ボトルネック奏法で繋げられる。この、演奏上の都合から発想されたとも、純粋にコンポジションからの発想とも取れる、というか両者の結び付きを、奇跡的に美しいと思ったのだった。

 

 うーん、ちょっと違うな。

「長3度がスライドしてゆく」というのは、ギターの奏法としてというより、音の「自然な」「出来事・振舞い」としてあって、それは「かけら」であってシステムとしての和声以前の状態だけど、それだけで美しい。

システムに先んじてあり、システムの根源であるのに、システムに依拠するうち根源を見失う。

システムありきでそこに部分を当て嵌めてゆくのは「作り事」であって「出来事」ではない。そうではなく逆に、「出来事」への感動から始めて、その場その都度、和声を編んでゆく、そのせいでホ短調の6度の c が♯して cis になってる、という方向を見て取って、クリエイティヴと感じたのだった。

 

 

『狂気』との出会いについて、以前こう書いていた:

〈「こんなに好き勝手やっていいんだ!」というショック。

この「好き勝手」ということが、そのまま私にとってのプログレの定義、と言い切って良い。

とんがったままごちゃついて、多様な可能性に開かれて、聴き手の耳を自由にし活性にする。この「ありよう」が、作品としての「完成度」に優先する。

完成度を測ることはものさしを前提とする。プログレは逆にものさしを疑うことだ。

そしてこの私のプログレ観を決定したのが、この『狂気』だった。

例えば、最近やけに好評の BAROCK PROJECT が、私には「約束づけられた問いの立て方への約束づけられた回答のし方」にしか聴こえなくて、全くワクワクしないのは、私のプログレ観がつまりそういうことだから。〉

 

昔の私賢い!ってなったのは、「プログレはものさしを疑うこと」の「こと」。

そうなんだよ! プログレは「もの」じゃなくて「こと」なんだよ!

 

 

詞内容と曲調のズレで感動する、という最初の経験は、'Brain Damage' だった。