論理はどこにあるのか?

shinkai6501.hatenablog.com

 

↑を書いた時は、只中にいながらなんとか言葉に書き留める、というフェイズだった。今は(たぶん)落ち着いたので、もう一度書いてみる。同じ事を書くことになると思う。

現実世界にいて(夢の中でではなく)、現在只今、ふつうに論理的にものを考えているつもりでいる。ところがその直後に省みると、説明のつかない理路の辿り方をしていたことに気付く。全く別々のトピックが融通し合って、混ざってる。

これが怖いのは、さっきはおかしかった、今それを論理的思考で検証している、今の私は正常、と納得、安心できないこと。今の私の論理が次の瞬間におかしかった認定されるかも知れない。論理はつまるところどこにあるのか?

 

こういう「おかしい」理路を辿ることは、夢の中ではふつうに起こる。

私は曲を聴く時いつも「曲そのもの」だけを聴いてる。ところが聴きながらうとうとする。その間引き続き曲そのものを聴いてるつもりでいる。ハッと醒めて気付くと、曲そのものからかけ離れたトピックなり考えなりイメージなりを聴いている。

これを、曲が喚び醒ましたもの、と見做す立場もあるかも知れない。ふだんは曲そのものに囚われ、捉われている、その現実の知覚の限界を微睡が開くのだ、と。

 

でも私は論理で成り立つ世界の中で生活を営まねばならないのだ。支障が出るし、恐怖だ。根源的な。

 

ピグパズルの BGM については、↑の記事の脚注にも書いたけど、PC 本体のスピーカで最小の音量で聴いてると、主メロだけが聴こえて、アレンジと調性が想像で補われるのが楽しい。小節線がずれたりもする。

原調のハ長調ニ短調と捉えられだして、チャイナ風の軽快なアレンジが補われたり。

「ウスクダラ」みたいなアレンジだったり。

今朝は、ミニマルな音形がいくつかの声部で織られていた。リトアニア民族音楽ポリフォニーの合唱のカノンみたいでもあった。

ロックンロールの12小節のコード進行の上に乗っけることも出来る。