ちょっと精神のリアリティが危ないかも知れない。すごく説明が難しくて、事態の深刻さを伝える自信がないんだけど、その時は全く論理的に考えていた筈なのに、直後に省みると、自分でも訳が分からない、ということが起きている。
ここ1日ほど2つのトピックが私の頭を占めていた。ひとつはツイッターのハッシュタグ「#過小評価されてると思う私的に最高な邦楽アルバム10選」、もうひとつはピグパズル。
ツイッターにいる時もピグパズルにいる時も、その時は目が醒めてる自覚を持ってる。ところが後になって振り返ると、思考の理路の説明が付かない。
これら、全く別の2つのトピックが、相互にごっちゃになってる。
一般に、ふだん、夢の中の思考は、理路を跨いで融通する。考え事をしながらうとうとし、ハッと目覚めた時、最初の話題から遠く隔たったところに来ている。うとうとしながらの思考は理路があった筈なのに、直後に目覚めてそのプロセスを辿ろうとしても辿れない。
ツイッターにいる時も、ピグパズルにいる時も、その時の本人の自覚としては、目が醒めてる。理路が立ってる。
ところが直後に省みると、これらふたつの全く別件のトピックがごっちゃになってるし、自分の考えの細部を思い出せなかったり、立っていた筈の理路を辿れなかったりする。
いま使ってる薬は気管支喘息の薬だけ。これらの副作用ではないだろう。テオフィリン(テオドール)とモンテルカストの錠剤、シムビコートの吸入。昔から使ってる薬だし、今までこんな状態になったことは、自覚としては、無かった。
ものごとを認識し意味づける約束事が、無効、少なくともあてにならない感じ。つまり夢の中の理路みたい。
これは全くの憶測だしきっと間違っているが、もしかしたらピグパズルにはなにがしかの催眠効果があるのだろうか?BGM*1の反復。軽くやるつもりでいつの間にかのめり込んでるし。
*1:音量を最小にして(PC 本体のスピーカで)主メロだけが聴こえるようにすると、想像でいろんな調性、いろんなアレンジが施され始める。