初心

最初のプログレ体験で、扉が開かれる。

その先に何が待ってるのか、想像が突き抜ける。

宝庫は、こちらのナイーヴな想像を超えて、遥かに自由で遥かに豊饒だったのだけど、

それにかかずらううち、何か大事なものを置き忘れてきた気がする瞬間がある。

 

初心は「きっかけ」、宝庫への入り口に過ぎなくて、

宝庫は、学びきれないくらい。

でも、「学ぶ」姿勢が、宝庫を閉じたものにする。

突き抜けるのは、可能性に開かれるのは、初心。

 

私個人は、初心を忘れたくないスタンスにいる。

あのとき想像の先に聴こえていた音は、そのものは、

もし今それを同じように聴くことが出来れば、いかにも貧しく、学びによって完全に克服されたものにちがいないけど、

閉じてしまわないスタンスは、忘れたくない。

 

私がこっちとあっちの線引きをする基準は、レコメンかシンフォか、とかの「スタイル」じゃなくて、「スタンス」。

 

私はこのままこういう人なのかも、と思うと寒気がしもする。

深まってゆくということがない。瞬間瞬間の目醒ましいワクワクを至上に生きてて、学として集大成することを「ロックじゃない」と思ってる。

もう言い訳になるほどは若くないのだし。

さっきアメブロで、美空ひばり車屋さん」を貼りつつ

「今の若い方は、東京事変のカヴァーでご存じかも知れませんね」

と書いた*1けど、これはギャグとして成立しない、現に私は「今の若い方」ではないのだった。

 

私は「ナイーヴ」を(「幻想」などと同様)否定的な意味で使う。

あと、世阿弥オリジナルの「初心忘るべからず」は、一般の使われ方とは意味がだいぶ違うらしいけど、ここでは立ち入らない。

*1:追記 2020年08月25日

ちなみにこの記事です:

ameblo.jp