「ちはやふる」って落語「千早振る」を映画化したものじゃないのか…
そういえば、たしかにどこかで読んだはずの文章が、ググってもヒットしない、の例として。
次のようなご隠居と八っつぁんのやりとりが、何かの文章の中で引用されていたのだけど、その文章も、引用元の落語も、見つからない。
「『うわばみ』ってのは何です?」
「まず『うわ』ってのがあるな」
「脅かしちゃいけません」
「この『うわ』ってのはな、ばみるんだ」
「へえ、私はてっきり『うわ』ってのはばみらねえもんとばかり思ってました」
この、知識人の体面というか、知ったかぶりのその場しのぎというか、テキストのみに依拠する解釈が真理に辿り着けない感じというか、テキストに厳密に基づいてるようでいて論を恣意的に進める感じというか、が「千早振る」に共通する。
ヒットしないということは、あるいは落語の本文ではなく1回限りのマクラなのだろうか?
舞台用語「バミる」の語源について、「場を見る」から来てて、これを四段活用させたもの、というのは、定説なんだろうけど、無理がある。他にもうひとつ何かの語源的要因がないと成立不可能な気がする。↑に引いた落語のくだりが、それなのではないか?
ちなみに「ちはやふる」は「ちょうちょ」に掛かる枕詞です。