改めて聴くと、0'32" 目の歌メロが Penny Lane っぽかったり、1'20" にサブドミナントで終止したり、2'54" 目でギターが3連シャッフルの上に16分を乗せたり、いろいろ面白い。
この曲所収のアルバム『Fairies』(メジャー・デビュー盤、2011年)にゲスト参加のミュージシャンのうち、私の注目は school food punishment のベーシスト・山崎英明。
2020年09月10日追記。
当時アメブロにコメント頂きました。
「曲調が変わるところ、、、すこし間延びしてませんか?」
「何となく、歌詞が耳にはいって、くれない。耳に残らない」
「なんか、音程が、、、(コードと)ずれる。様な感じ、、、」
「で、コトバが聞き取れない? ???」
それで改めて気付かせて頂いたことを返信差し上げました。
以下。
あの箇所を私は「美点」として挙げようとも思ったのですが、省いてしまいました。
もちろん、小節数が半端であること自体に価値があるわけではなくて、メロディの造形や、メロディとコード進行の関係の造形の必然で「結果的に」半端になってる、と感じさせてくれる時、私はそれを美点と思う、ということです。
コトバが聞き取れない、歌詞が耳にはいってくれない、というのは私も感じます。作者がそこをあまり重視してないのでしょうか? メロ先なのかな?
(実は、私はこの曲の歌詞を把握していません…
私の聴き方のくせで、いつも、曲だけ聴いて、歌詞は聴かないことが多いです。)
メロとコードの関係については、ご指摘の点とはずれるかも知れませんが、わたし的には、歌い出しが、メロだけ取ると長調(C)っぽくて、それが平行調の短調(Am)のコード進行の上に乗ってる、という感じが、好みです。