「アサンブラージュ」であることと、「箱」であること。
箱に閉じ込めることによって、かえって象徴的に宇宙を示す。
ジョゼフ・コーネルの箱は「標本箱」の質感をもつ。実際これは「宇宙の標本」なのだ。
いっぱんに、標本箱の中には、昆虫とか、鉱物とか、採集してきたものを並べるのだ。
並べる手続きのことをアサンブラージュと呼ぶのだ。
コーネルを音楽作曲のヒントにするとはどういうことか。どういうやり口があり得るのか。
夢見がちな人たちが「感性」と呼ぶ心の働きを頼みとするのか。
コーネル作品はたしかに見る者のイマジネイションを刺戟してくる。コーネル作品の喚び出す「シュール」な「なつかしさ」と同じものを、音の力で喚び出そうと手探りするのか。
あるいは、アサンブラージュであるという仕組み、箱であるという仕組みをヒントにするのか。 この場合、雰囲気や心象がコーネルに「似ている」ことを目指すと、道を誤る。
アサンブラージュのほうはともかく、作曲における「箱」ってなんだろう?