ゲルニカ「水晶宮」

スーパーからの帰途、8½ の「戒厳令」が脳内で鳴りだした。

理由はすぐに思い当たった。店内で鳴ってた「グローリア」(Edward Shippen Barnes の)の

in excelsis Deo

の部分のメロが、「戒厳令」の

街を包む今宵は

のメロ

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に似てるからだった。

これの 1'08" 目。

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短調の曲が最後長調で終わるのは当たり前にあるけど、長調の曲の最後の和音が短調だと効果が凄い。

 

というわけで、ゲルニカの話題を。

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水晶宮」(↑の 3'37" 目~ 6'26" 目)について去年、ツイッターである方とやりとりして、改めて意識的に聴いた。

4'25" 目~ 4'45" 目の拍子について。

ベースのリフの律動感をそのまま拍子と捉えるなら、

①まず1行目が [3/4 のリフ×2]

②次に [3/4、3/8、2/4、2/4] のセットを2回

と聴こえる。

②については、歌メロの、

「いーくーたの、つきの、みちかけ、みーたか」

の各文節の長さが、

[3/4、3/8、2/4、2/4]

の拍子を決め、ベースが、3拍の長さあるリフを、アタマから1.5拍だけ使ったり(=3/8)2拍だけ使ったり(=2/4)してる、という風。

これはちょうど、3拍の長さあるサンプリングを、各小節の長さ分押した、というのと、現象としては同じで、生フルオケに機械の振舞いを要求してる、という風情が、六人組なりストラヴィンスキーなりの情緒の排し方を思わせる。

 

ゲルニカの 3rd. アルバム『電離層からの眼指し』は、前作『新世紀への運河』の響きとしての充実からすると、コンポジションの骨格をそのまま提示したような印象かも知れない。

生フルオケを使ってることが、二番煎じの印象を齎すかも知れない。

でも、じつは、作曲者の求道を徹底的に踏み込んで、より先鋭化してるのは『電離層からの眼指し』のほうなんじゃないか。ちょうどドビュッシー『プレリュード』の〈第1巻〉と〈第2巻〉の関係みたいだ。