Circulus、Mercedes Peón

私がプログレをいちばん熱心に追ってたのが、ひと回りかそれ以上昔のことと気付き、軽く愕然とする。

その時期に知ったバンドのひとつ、Circulus。

 

私は 2nd. アルバム "The Lick On The Tip Of An Envelope Yet To Be Sent" (2005) でこのバンドを知った:

 

続く3rd. "Clocks Are Like People" (2006) はやけにソフィスティケイトされて、あれ?と思ってたら、4th. "Thought Becomes Reality" (2009) でまたこんなになってた: 

 

そもそもトラッドって何だろう?

今現在の日々の音楽の営みが積み重なり、残るものは残り、トラッドになってゆく。

過去の遺産も、自分にとってヴィヴィッドと感じられる方法で、批判的に受け継ぐ。「保護」の対象ではない。

だからどんなアプローチも試されて然るべきだけど、平均律や規則的ビートに落とし込んだり、非当事者がエキゾティックなテイストとしてくすねたりは、いくない。 

ロリーナ・マッケニットは、整頓されたイージーリスニングに聴こえた。

そんな折、Circulus に出会った。「伝統を受け継ぎつつ伝統を創造してる現場」と呼びたくなる、自発性と活きのよさ。

アナログな音像の「21世紀の録音と思えない」感が「懐メロとしてのプログレ」と紙一重でいて、マッケニットよりもっと、トラッドで、プログレだった。

 

上に言った意味での、最もトラッドらしいトラッドは、これ: 

 

私にとってのトラッドって何だろう?

私は地縁でのコミュニティに属してない。

ネットでアクセスできる世界中の音楽(現実世界のコミュニティにトラッドとしてあるものをネットにアップしたもの、ではなく、ネットに発祥しそこを棲み処とするもの)の中から「これが私の音楽だ!」と思えるものを、私は選ぶことが出来る。そしてネット上で同志たちのコミュニティに属し、自らネット上にコミュニティを立ち上げ、選んだ音楽を受け継ぐことが出来る。これが私のトラッドだろうか?

 

今回あれこれ考え始めたら収拾つかなくなって多くを端折りましたが、以前書いたのと被る内容です。と今読み直したら、やはり収拾つかないままの投稿でした: