作曲上の整合性か、演奏効果か(Genesis 'Watcher Of The Skies' の場合)

Genesis 'Watcher Of The Skies' 

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の1コーラス目、3'22" 目の

Maybe the lizard's shed its tail

に入る前のベースのフィルイン、なんか

f:id:shinkai6501:20190909200135p:plain【譜例①】

みたいな箇所が、"Selling England By The Pound" ツアー以降のライヴ

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(この動画の3'36" 目)では、なんか

f:id:shinkai6501:20190909200623p:plain【譜例②】

みたいに変わってるのは、何故なのか。

ライヴでも、2コーラス目の同じ箇所

Come ancient children hear what I say

に入る前は、スタジオver.同様【譜例①】みたいにやってる。

 

私は今まで勝手に、ここが演奏上の難所で、とくにこの曲はライヴのオープニング曲であるために、1コーラス目で無難にウォームアップして、2コーラス目に本領発揮の見せ場を持ってくる、という意図なのだと思ってた。

つまり演奏上の都合。

 

思い直すに、これは「作曲上の整合性」と「演奏効果」のどちらを優先するか、の問題なのではないか。

この箇所は歌い出し=サビの再現だ。

【譜例②】の形にするということには、再現を、歌い出しと同形で行う、という、作曲上の積極的な動機がある。

演奏を無難に切り抜けるという消極的な理由でこうなってるのではないのだ。

 

つまり、

ここはオルガン的には「パッパ|パー」のアウフタクトでサビの再現が始まってる、

いっぽうベース的には楽節終わりでフィルインを入れたくなる箇所である。

ライヴ1コーラス目では「パッパ|パー」を明示するアレンジを採用してる、

でもこのアレンジは流れを止めるので、勢いが付いてきてそのまま押したい2コーラス目では採用されない、同時に、演奏効果の大きい「速弾きの」アレンジが選ばれてる。

と。

 

ここをどっちの形にするか、については、スタジオ録音の段階で既に、葛藤があったんじゃないか?

と今更ながら考えたのでした。

 

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