①
ピグワールドは、人口を増やすことで順次カタログを開くのだけど、先日、わたし的最終目標「香港2」のカタログをゲットした。
あと「ラスベガス1、2」でコンプだけど私は要らない。人口を増やすためだけに建てた夥しい家を撤去、街の「造形」をゆっくり楽しむフェイズに移行する。
実在の香港は一切参照しない。もとより「大都会香港」を作る気はない。建物を整然と並べるのはつまらない。
むしろ「林に見え隠れする家々」というイメージに初めから囚われていた。ただしその具現化のための方法はノープランだった。
ふと、幾種類かの植物をそれぞれ別のラインに沿わせて連ねる、というアイデアが浮かんだ(『蟲師』の「光脈筋」がイメージのどこかにあった)。そうやって林を作り、合間に建物を覗かせる。
作り始めた。目下ここまで:
最初はここからだった:
竹を逆S字のラインに沿わせ、木とアジサイをそれぞれのラインに沿わせて竹のラインに絡ませる。
人工物が林に埋もれるのに隣接させて、幾何学的な区画:
イメージとしてはより山奥、高低差は表現できないけど:
この「山奥」エリアでは「道を敷いて道を表す」のではなく「竹を置き残して道とする」をやろうとしたが、行き当たりばったり過ぎた。はっきりしない表現。
なので仕切り直しの手掛かりにすべく「基礎実験」を:
左上:太い道、右下:細い道。竹はてっぺんの明るい色と幹の濃い色とに分かれるので、細い道を作れる。いっぽう木は、上から下まで葉の付き具合が同じなので、密集させて並べると同じ色に潰れてしまう。道をある程度以上広くして地面を見せる必要がある。
竹や木の植わってる範囲自体にも、つい、疎密を作りたくなる。そのほうが「有機的」な気がして。でもそれをやってしまうと、「疎な部分」と「道」とが紛らわしくなる。ここは植わってる範囲は均質に「密」にし、それと「道」とのコントラストをくっきり出すのが吉。
②
「じゃがアリゴ」について、私のこだわりは「じゃがりこの質感」。完全に戻して全体に均質なペーストにするのではなく、歯ごたえを残したい。でもチーズを十分に溶かす必要があるので、加熱時間を短縮は出来ない。
そこで、いったん取り出して詰め直し、わざと嵩ばらせて、お湯に浸かる部分浸からない部分を作り、戻り方にばらつきを作る。
ただし、チーズだけまとめて先に底に敷くと、大きなカタマリになってしまう。さけるチーズは弾力・歯ごたえが特徴なので、カタマリで来られると持て余す。美味しくない。
といって、チーズを分散させることに神経質になりすぎ手間を割くのは、「じゃがアリゴ道」に反する。「レシピがシンプルであること」がキモなので。
結局「じゃがりこを半分除ける」→「チーズ投入」→「除けたの載せる」でいい。
オリジナルのレシピでは塩を加えることになってるが、私は使わない。代わりに、コショウを多めに使う。あと、パセリをこまめに振りながら。あるいはバジルを、少なめに。
じゃがりこの「チーズ」を使う場合は、そのチーズ味を生かし「チーズ尽くし」感を大切にするために、他の味を加えない。「サラダ*1」の場合、「プレーン」と見做し、AJINOMOTO丸鶏がらスープ「塩分ひかえめ」タイプを小さじ2ほど加えるのもアリ。必ず「塩分ひかえめ」で*2。レギュラータイプよりも、定番も割高だし、特売にもならないけど。
(さけるチーズのほうも味のヴァリエイションが豊富だけど、「じゃがアリゴ」に使う場合、有意の差は認められない。私が鈍感なだけだけど。)
あと、じゃがアリゴにショウガは、ない。
「レシピをシンプルに」のキモに随って、「ちょい足し」は以上に留める。あと「丼を別に用意する」とか「鍋を使う」とかやりだすと、味の向上は図れるかもだが、じゃがアリゴとしては邪道、というかすでに別料理だ。
「食感」の語を「感覚が未分化で未熟なのか、感覚を言語化する能力が未熟なのか」と斥けるくせに「質感」の語は使うのか?とお訝りだろうか?
私は「質感」の語を、「抽象度」との対比で、明晰に厳密に使う。陶器は質感、磁器は抽象度、というふうに。私は食べ物については素材の質感を残すものを好み、陶磁器のような芸術については抽象度の高いものを好む、ということは今まで何度か書いたので、ここで繰り返さない。