#子供の頃怖かったもの ②

前回と全然別の話として。

 

怖い対象に出会ってそれへの反応として怖いという感情が起きる、のではなく「怖い」が自律的に起きるとか。

 

自室の見慣れた、例えば帽子か消しゴムを見て、「怖い」が起きる時があって、その理由を自分でも説明できないとか。

危害を齎す/齎さないとか、正体が判らない/判るとか、日常の理路で怖いものと怖くないものを区別して安心してるところへ、別な「怖い」が忍び込む。

でもそれは決して「危害を齎さないと思ってた消しゴムが突然襲ってくるかもしれない」とか「帽子と思ってたものの正体が異星人の刺客かも知れない」とかではない。それはまだ「日常の理路」の範疇だ。襲われても拉致されても怖くない。それはまだ「こっち側」の出来事だ。

 

子供のころに限らない。今もある。 

感情の一時的なバグなんだけど。