メモ(《クラシック音楽》という呼称)

「《クラシック音楽》というジャンル名には問題があるので他の呼び名を考えよう」という時、その「問題」として言われるのは、例えば「クラシック」は本来「古典派」を指す語なので、もっと一般的な名前を、ということだったりする*1

それで、ある方は《アンティーク音楽》を提唱なさってたりする。

それはつまり、現行のカテゴライズをそのままに、よりその内実に相応しい呼び名を、ということなんだと思う。

 

私がいちばんぴったり来るのは《純音楽》という呼び名だ。私はそのようにクラシック音楽を捉えてる、ということだ。

これを先の《アンティーク音楽》をご提唱の方に申し上げたところ、「ジャンル名とするより、音楽美学の用語として使ったほうがいいかも」とのご指摘を頂いた。

それでハタと気付いた。私はまさに、美学に基づいてジャンルの線引きをしたがってるのだ、と。

私のやりたいのは「現行のカテゴライズをそのままに、よりその内実に相応しい呼び名を」ではないのだ。

なんなら、私の《純音楽》にはマスネーが含まれなくてもよい。

 

 

プログレッシヴ・ロック》についても、私は別の呼び名を思い巡らすのだが、妙案が無い。

新名称を考えるには、どうしたって、何を以て「プログレ」とするのか、「定義」ないし「条件」を改めて考えることから始めることになる。

無論私のその新たなジャンルに Moon Safari は含まれない。

 

 

私は「あっちとこっちに分けたがる」。

「私らしさ」は、何を好きか、よりも、何を受け容れられないか、で明確になる。

*1:「クラシック」を、狭義の「古典派」ではなく、一般的な「古典性、古典的価値」の意味で捉えるなら、《クラシック音楽》という呼称も妥当かも知れない。

つまり、過去の、歴史に評価され価値の定まった音楽や、現代の、「古典に連なろう、古典を受け継ごう」という意識で作曲される、ないし今後古典に列せられることが見込まれる音楽、それらの総体を指す語として。

どっちにしろ、私がここで別の呼び名を欲する動機は別のところにある。