陶酔のポップ 2話中1話目

2人称は正しい。

私は曲としてはハリソンの「サムシング」がクラプトンの「レイラ」よりも好きだが、歌詞は、レイラの、真っ向から「you」と呼びかける点が、代名詞が「she」のサムシングよりも正しいと思う。

ラヴソングなんだから。

 

「私はあなたを愛する」がロックだ。

 

演歌のことは皆目わからないが、個と個、人格対人格、が見えてこない=「愛」が成立してない、という印象がある。

報われなかった時に「未練」を引きずるのが演歌。報われないのは、相手がこちらを人格として扱わない、「個と個」の関係を引き受けるだけの器をもたない「ろくでなし」だから、というケースが描かれることが多いと思うが、そう判明してなお、その相手に拘泥するのは、こちらも関係が見えてないから、乃ちこちらの料簡ももともと「愛」じゃないから…的な度し難い世界。

 

平尾昌晃「ミヨちゃん」は、曲のジャンルは判らないが、歌詞は、ロックの対極にあるもの=演歌の典型例として真っ先に思い当たる。

 

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愛したのではなく、マウントを取りたかった、それが可能な相手としてミヨちゃんを見繕った、そして失敗した、と読める。

 

ラスト、何故「それまで」サヨウナラなのか。「永久に」サヨウナラの筈だが。恋人を見つけて見返すことで報われるのならミヨちゃんへの思いは「愛」ではなかったのだし、ミヨちゃんを見返すために恋人にしたのなら恋人をも愛してない。この歌に「愛」は無い。

「愛し」た人に彼氏がいたからショックだったのではなく、彼氏なんかいっこない(だから自分が彼氏になれるし優位に立てる)という「打算」が外れたからショックだったのだ。

 

そもそも「皆さん まあ 僕の話を聞いて下さい」と、対象と向かい合うのではなく話のネタにするのはどうなの?と思ったら、ビートルズ(レノン)の「ガール」の歌い出しもそんなだった…

 

つづく。