ロックがクラシックなど他要素を取り入れたのがプログレ、という説明の仕方がある。
でも、「担い手が誰か」で考えると、逆だ。モッズなりパンクなりがプログレまでをもやりだした/聴きだした、わけではないだろう。逆にもともとクラシックの素養のある層の作り手/聴き手がロックをも侵しだした、のではないか。
趣味教養としてのロックってロックなのか?
ワーキング・クラスのロックンロール・バンド、ザ・ビートルズが「ラバー・ソウル」以降ああなった時、裏切られた、と思った層はいただろう。
ザ・フーが「トミー」以降ああなった時どうだったかは知らない。
「ロックがクラシックを取り入れる」「ロックが新たな聴き手を獲得する」という言い方をする時、ロックを自律的でユニヴァーサルなスタイルとして見ている。誰がやって誰が聴いてもロックはロック、と。
まあ、どの階級にいようが、不良だろうがボンボンだろうが、悩みはある。ロック的状況はある。たんに趣味としてのロック鑑賞といい切ってはいけない。のだが。
必要としてのロック。
日本で洋楽を聴く者は、プログレだろうがパンクだろうが、等しくボンボンだった。
1970年代くらいの状況を想定して言ってるのだが、日本においてモッズやパンクに相当する者、つまり本当にロックしてる者、生き方においてそうである者は、キャロルを聴いていた。
「球根を植える」を「ヒュー・コーンウェル」に空耳したけど、じつはストラングラーズのことはよく知らない。まあパンク一般知らないが。
ストラングラーズの聴き手って、どういう層だったんだろう? ラモーンズ、クラッシュとは違いそうだし、いわゆるオルタナ、キャバレー・ヴォルテールやスロッビング・グリッスルの聴き手にとっては「普通のロック」に聴こえて物足りなかったのではないか。
でもたまたま Jean-Jacques Burnel のソロアルバム "Euroman Cometh" は知ってる。
なかのいちばん好きな曲、'Freddie Laker (Concorde & Eurobus)' に PV があるのを知った:
ということはシングル曲なわけか:
動画いちばん最後、3分24秒目に、アルバムのジャケが映る。
ポンピドゥー・センター前に立つバーネル、という身も蓋も無くもカッコイイやつ。
ぶっちゃけわたし的にはラバーソウル以降がビートルズなのだし、ザ・フーは Quadrophenia で知ったのだし、Euroman Cometh はプログレだと思ってた。