革新は、その影響が大きいほどスタンダード=あたりまえになるので、後世の者である私(たち)がパイオニアの功績に気付くには、勉強が必要だし、知識としてだけでなく実感としてピンと来るには、タイミングなり偶然の経緯なりが必要だったりする。
さっき脳内で突然ザ・ビートルズの「ザ・ナイト・ビフォー」(1965年)が鳴りだして気付いたんだけど、これってすっげえ斬新な音楽なんじゃないか?
マッカートニーの多重によるメインヴォーカルは、ミが♭してて、節回しがブルーズ由来な感じがする。
いっぽうで、レノンとハリソンによるコーラスは、ダイアトニックだし、かっちり書かれたカデンツ感がある。「クラシック的」と言わないまでも。
文脈を異にする2つの要素の組み合わせ。
こういうのって、この時代やそれ以前に、ふつうに例があるんだろうか?
私は初期ビートルズをそれぞれのレギュラーアルバムで聴いてない。いちおう聴き込んだのは『赤盤』だけ、というお粗末さなのだが、『ラバー・ソウル』以降を知っている耳にとって、それ以前の曲は、うっかり「普通のロック」「普通のポップ」に聴こえてしまう。
(「ザ・ナイト・ビフォー」をどこで知ったのか、具体的には不明。)
「フライイング」(1967年)は逆に、クラシック由来とも思えるダイアトニックな主メロが、「ブルーズの12小節」の上に乗せられてて、私の「最初のプログレ体験」のひとつだった。
レッド・ツェッペリンの魅力のひとつは「ダイアトニックとブルーノートの使い分けと絶妙な混淆」だと思ってる。
(ZEP の魅力の第一は、リフのかっこよさ、符割の実験、だが。)
ヴァースをダイアトニックで抒情的にやってサビをブルーノートのロックでガツン!とか、
逆にルーツ由来のヴァースにサビがダイアトニックでクラシックばりの晴れやかさ、とか、
もっと微妙に、ダイアトニックが基調の中に、歌い回しが時折ブルージーとか、ギターのフィルインのミが♭してるとか。
ZEP のダイアトニックはあるいはトラッドから来てるのかもだけど、アレンジ的に、オルガンがフィーチャーされてたりすると、クラシカルな荘厳を帯びる。
こういうことも、たんに私個人がそういう工夫に ZEP で最初に出会った、というに過ぎなくて、元を質せばビートルズだったりするのかな?と、今回思った次第。