もう一度だけ書く。整理して書ける気がしたので。
私は、音楽に政治を持ち込む「べきでない」と言ってるのではない。
音楽に政治を持ち込むことは「不可能だ」と言ってるのだ。
音楽に政治を「持ち込むな」ではなく「持ち込めるという嘘をつくな」だ。
音楽に政治を持ち込んだ人は1人もいない。持ち込んだ気になってる人はたくさんいる。
音楽と政治とを「並べた」人はいる。「結びあわせた」人はいない。
音楽作品が政治的内容の歌詞を持ってはいけないとは言わない。でもそこにおいて音楽と政治とが「結びあっていない」ことには自覚的でなければならない。
聴き手が何を言っても、放っておけばいい。
作り手の多くがここに無自覚なのが気になる。
私が音楽の自律にこだわるのは、私の常識では、作り手たる者、自らの姿勢を厳しく問うものである筈だからだ。いやまさか、政治的テーマを使うことで曲に下駄を履かせる・ポイントを稼ぐことを目論み、そのぶん音楽自体としてのクォリティを問うことをサボる、なんて奴は、さすがにいないとは思うが。
いったんは音楽が政治であり得ると幻想し、「不可能性」にとことん苛まれる過程を経る、のがふつうと思うけど、ちがうのかな?
政治に限らない。私は初めからこういってる:
ああトレンドの「音楽に政治を持ち込むな」はこういう話なのか…私は音楽の自律・純粋を以て貴いとするので、ここに列挙された全部「音楽に持ち込むな」と思ってるけど。 https://t.co/SgyucVtsGA
— 新海智子 (@coccyx_T) 2016年6月19日