《発車 オーライ》
このたったひとことのためにロングトーン主体で1拍+2小節費やすリダンダンシーが全く理解出来ない。
1957年の曲らしいが、当時としても有り得ないまだるっこさじゃないのか?
いっぱんに、1950年代くらいまでの「歌謡曲」の曲進行のスピード感には随いてゆけない。
聴き手は先を読む。曲進行が型通りに段取りを踏むことは、聴き手を「待たせる」ことである。テクニカル・タームでいうところの「みなまでいうな」。
「デュエット曲」は数多いが、例外なく3コーラスあり、1コーラス目は男性、2コーラス目は女性、3コーラス目は2人のユニゾン、の型を踏む。せっかく2人いるのに何故ハモったりモテットしたりしないんだろう??
1行=7+5音、1コーラス=4行、1行に4小節を費やし、行毎最後の音節は必ず全音符のロングトーン。
「創造」の放棄だ。
「旅の夜風」(花も嵐も 踏み越えて~)に典型的なやつね。
「買い物ブギー」の服部良一のスピード感は当時にあって全くの異常だったんだろう。
あと、これはかなり下って1974年だが、1行毎の歌い交わし、凝ったハモり、ユニゾンなどが入り組んで、ユニークな工夫が際立ってる:
3拍子だし、アレンジがアングラっぽいし。
「東京のバスガール」が「コール」である《発車 オーライ》に「メロディ」を付すことから連想するのは、これ:
1分15秒目、
(スイッチ・オン スイッチ・オン)
は、ふつう、「×」の音符で、
ってやるところを、こんな小節(こぶし)の効いたメロを付けて、3度でハモるとか、尋常の発想じゃない。
(2分56秒目~3分29秒目と、4分44秒目から曲最後までのブラス・アンサンブルは、Pink Floyd 'Summer '68' を参照してるのだろうか?)
「バスガール」を「ガスパール」に空目。
真のピアニズムとはこの曲のことだ。
いったい何種類のタッチを使い分ければ弾けるのか??