《泥は堕落・腐敗の象徴として躍起になって排除する対象であると同時に、それ以上に、身を委ねてしまいたい衝動・憧憬の対象です。

排除するのは、他に用事があるからで、取り敢えずの途中経過を生きているからです。

身を委ねるのは、もう何もかもこれで良いと思えるからで、結局私はそこへ帰ってゆきたいのです》

《野辺で、または自室で、孤独に死ぬ時、「腐る」よりは「枯れる」方が良い、と思った時期がありました。

冬の、冷たく、乾いた時期を、選べるなら選びたい、と。

これはでもまだ私が「生」の側にいて、「生」の側の価値観に「死」を取り込もうという企図でした。

死の実相を受け容れず、「生」に執着したまま、妥協点を探るようにして死んでゆくのでは、決して幸せに死ねない、と最近は思うようになっています》

 

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shinkai6501.hatenablog.com

は最初アメブロに投稿しました。

上掲の引用は、その時その記事のコメント欄で、ある方とやりとりをした、そのうちの私の返信分です。

本当は、私の理屈っぽい言葉よりも、その方のお書きになったこと、身体性を持つ言葉で実感をもって物事を言い当てる文章をこそ、ここにご紹介したいのですが、今、連絡を付けて許諾を頂く、ということが出来ない状況です。

お元気でいらっしゃるでしょうか?