B級枠 棲み分け 出会い方

ナポリタンは滅多に買わない。

ナポリタンを買う時の心構えは、「好物で満足したい」とは別枠の動機だ。

ペペロンチーノ、きのこと刻み海苔と大根おろしの醤油ベース和風パスタの時とは違う。

自らに「修行を課す」色彩を帯びる。マゾヒスティックな。 

嗜好品は、お酒にしろタバコにしろマゾヒズムだ。私にとってのナポリタンはこれに近い。

「こういう人生もまたオツなもの」、「甲」ではない文字通り「乙」

「本当においしいナポリタン」は論理矛盾だ。

但し、今日買ったナポリタンは、パプリカとタマネギとウィンナーがたっぷりで、あまっさえ唐揚げを1つ添えるという「差別化」がなされてて、ナポリタンとしては邪道だった。オーソドックス、と言うよりさらに1歩進めて「味気無さ」を以てナポリタンのキモとする。 

 

まあ、

この御ツイを拝見したうえで買い出しに出掛け、スーパーのお惣菜が半額の時間帯に行き合わせれば、抗えない。

 

カケレコさんで Druid をポチりそうになってる。

kakereco.com

こういうものに食指が動くとはどういうことか。

優先順位をすっ飛ばして、これが欲しくなる、B級のための別枠が頭の中のCDラックに準備されてる、この料簡の正体って何だろう?

B級であるがゆえに、B級であること自体が理由で、価値がある、ということはあり得ない。

クォリティを上げることで取りこぼされる何かがある、Druid にはそれが保たれてある、のだろうか?

 

この記事は、一昨年の12月と去年の12月の下書きをもとに清書しようとしてるのだが、下書きはここで途切れてる。タイトルの「棲み分け」「出会い方」に該当する内容の部分が無い。何を書こうとしてたのか?

「作品が優れている」ことがそれを「好きになる」ことを保証しない、といって「優れていない」から好きになるということは断じて無い、とすれば「好きになる」「良さがピンとくる、腑に落ちる」の条件は「出会い方」なのか、というようなことだろうか?

思い出せない。

昔より頭がボンヤリしてると感じる。

実際にボンヤリして来たのか?

ボンヤリは昔からで、それを自覚できる程度に頭がハッキリして来たのか?

www.youtube.com

 

追記(2018年04月24日)

「棲み分け」「出会い方」に該当する内容を書きました。後半「②叙情」で。

shinkai6501.hatenablog.com