「音楽に sus4 の解決を持ち込むな」は私のスローガンだけど、「sus4」がダメなのではなくて「の解決」がダメなのだ。常套手段だから。
4度への好みを、私は強く持ってる。
子どもの頃、「ドミソ」の和音にもう1個音を足すとしたら、
の、
1「ドレミソ」は、地べたの、下世話な音で、嫌い
2「ドミファソ」は、天空の、遥かに抜ける音で、好き
だった。
1はヤマトの陽音階に通じるドメスティック、2は琉球音階やペログ音階に通じる遥かな憧れの対象、と感じてたかも知れない。
sus4 の解決は嫌いだけど、逆の進行は好き。これは子どもの頃好きだったグリーグ『ペール・ギュント』「朝」の終わり近くのホルンの和音の進行 [fis, a, h, dis] → [fis, a, h, e] が原体験になってるかも知れない。
これの3分33秒目~。