ズレる、ズラす


↑で、

「書かれた1本のメロディという以上の、呼吸し、生きて動く、音の出来事」

は、ボウイングの指示つまりあくまで「作曲」として処理されてる。

「演奏」ではなく。

ここで生じてるのは「ズレ」なわけだが、演奏者的には、意図してズラすのではなく、作曲の指示に従うことによって自ずとズレる。

 

あるいはたとえば、チェロを高域(運指的にもハイポジション)でクラリネットとユニゾンさせる、というオーケストレイションがあったら、絶対にぴったりのユニゾンにならないし、その効果を狙ってそう書く。

演奏者がズラそうと意図してズラして生じるズレじゃなく、ぎゃくにぴったり合わせようと最大に努める結果生じるズレ。

 

ところがこれを打ち込みでやると、ぴったり合ってしまう。

そのとき、意図的にズレを作ってやることって、意味があるのか?

各パート毎に、チューニングの癖や指板上の指のポジショニングの癖を設定するとか。

「ズレる」ことの面白さを「ズラす」ことによってシミュレイトする、ってわざとらしくないか?