(2016-07-27 記)
前回、端折りすぎました:
つまり私の問題意識の在処は、
アネクドテンは1970年代キング・クリムゾンのスタイルをなぞったようなバンドで、これの登場を以て「プログレ復活」と言っていいのか?
です。
70年代にプログレを生んだようなクリエイティヴな「精神」が、90年代に発揮されるとしたら、既存の「スタイル」の再現にはならない筈だ、ということです。
90年代の時点でアネクドテンを歓迎する耳は、果たしてプログレッシヴな耳なのか?
「スタイルとしてのプログレ」より「精神としてのプログレ」を重視する、となると私はアネクドテンよりアングラガルドを高く評価する、ということです。
私がそれなりに熱心にプログレの情報を追っていた(≒ユーロ・ロック・プレスを読んでた)のは数年前までなので、最近は違うのかも知れませんが、日々飽きもせず量産される新バンドを評価するのに、まずクリムゾン的とかフロイド的とかGG的とかのパラメータがあって、それらを各何割ずつ含むかが即ちそのバンドの個性、みたいな風潮が強くあって、評論家が、言葉で音を紹介する便宜上そうなるのはまだしも、アーティストの側までそれに沿って発想するケースが多い印象でした。
そこでは当然、シンフォ的な音は保守的、RIO的な音は革新的、ということは無い。
既存のスタイルの踏襲という点ではどちらも同じです。
私はRIO好きと見られてるかもですが、如何にもうまくRIOを踏襲する音をあてがっておけば喜んでるような者は、敵のうちの最も始末の悪い敵です。
ユーロ・ロック・プレスのディスクレヴューで解せなかったのは(今は違うかもですが)「アヴァン/チェンバー」コーナーの評価基準のひとつに「変拍子度」があったことです。変拍子を採用することによって何かの条件クリアとなるわけではないのは、川越好博を見れば判ります。