音楽で泣いた②

(2015年11月03日、記)

 

ストラヴィンスキーペトルーシカ」1911年原典版、ピエール・ブレーズ指揮クリーヴランド・オーケストラ、1991年録音。

 

 

曲内容も演奏も、泣かせにかかるエモーショナルとはおよそ真反対なのですが。

 

膨大なパート数が複雑に入り組むこの曲を、ここまで、解きほぐして、分析して見せるか!と、要するに「嬉し泣き」です。

スコアに書いてある音が全部聴き取れそう(スコア読んだことないけど)。

響きとして、整頓し尽くされてるので、難曲であることを忘れそう。

 

ペトルーシカの『イデア』の具現だ!」と思いました。

 

泣けると同時に、5分21秒からの小太鼓のロールには、笑ってしまいます。

数拍の長さ持続するロールとしてより、1つ1つの16分音符として聴こえてしまう。 

力を持続して次のセクションに受け渡すロールではなく、音符がスタティクに並んでるという風。

 

これ最初に自分で買った CD だったかも。

ブレーズや、ピアノでいうとミケランジェリの CD は、CD を聴いてるというより、譜面を読まされてる感覚に近いです。

 

ミケランジェリでいうと。

ドビュッシー『プレリュード第2巻』第8曲「オンディーヌ」の中のグリッサンドが、例えばベロフで聴くと、ひと連なりとして運動性を持って聴こえるのに、ミケランジェリだと、音符1つ1つがスタティクに並んでる風に聴こえました。

この場合は泣けなかったし、ドビュッシー演奏に関してはベロフとティボーデが好きですが。

 

 

クリーヴランド管やベルリンフィルの立派さは、レファレンス、皆が目指すべきスタンダードと見做しがちですが、アマオケの演奏に触れたりすると、そういう裾野からを含めてのオーケストラ演奏の世界全体の中では、むしろある特殊な洗練のされ方に聴こえてきたりするかも。

 

 

ストラヴィンスキーではまず「春の祭典」にハマって、歳を取るにつれて、→「ペトルーシカ」→「火の鳥」の順番で好きになる。

ドビュッシーの子分の音楽」として斥けた時期もある「火の鳥」を、大好きだと、恥し気もなく言える年齢になりました。