(2016年02月02日、記)
2月2日はあきらこさんのお誕生日です。
ロバート・フリップのいないキング・クリムゾンは有り得ず、ロバート・フリップのいるところには必ずキング・クリムゾンがあるように、あきらこさん=半獣神の午後といって差し支えないです。
じっさいあきらこさん以外のメンバーは目まぐるしく入れ替わったようです。
作曲、アレンジ、作詞、ステージ演出、美術(フライヤーとか)、そしてもちろんあの歌唱力によるヴォーカルと、すべて一人でこなしてしまう方です。
〇〇タイプという形容に落とし込めない、1アーティスト1ジャンルの権化みたいな方ですが、ドビュッシーとケイト・ブッシュはお好きだったようです。
ライヴもCDもバンド形態ではありますし、個々のメンバーの演奏力は相当なものですが、もともと曲をレパートリーとして練り上げる発想の順序が、あきらこさんの必ずしもバンド的でない作曲を、如何にバンドで具現するか、であって、バンドありきではないのが、魅力だし時には弱点です。
私自身が1度だけ、数年前、吉祥寺シルバーエレファントで見たライヴは、もしかしたら(目下のところの)最後のライヴだったのかも知れません。
その時新曲として演奏された「魔女になっちゃうよ」という曲が大好きだったのですが、どこかに音源ないのかなあ。
いわゆるアヴァン寄りの作曲を最も徹底した曲だったと記憶するのですが。
1999年のCD『初恋』から3曲。
追記(2017年02月02日)
1990年代初頭のごく初期にはメンバーを女性のみに限っていたようです。あきらこさんが構築したい世界が明確にあったのでしょう。
世界を圧倒的に構築することはステージと聴衆との直接の交流を排することでもあります。毎回テーマを設定して、音楽とステージ演出とのトータルで、シアトリカルに完結させたステージ世界は「作品」として鑑賞されるものであり、作品世界の中の「女王」のようなあきらこさんがMCで聴衆のところまで降りて来て(客席に降りる、という意味ではないです)コミュニケイションを取る、ということはほぼ無かったようです。
笑う、ということも無かったかもしれない。1990年代半ばには「お笑い担当」的キーボーディストが1人加わっていた時期があり、「超絶的」なあきらこさんとの役割分担があったようです。
私が観た2000年代には、あきらこさんご自身のMCは下世話な話題も含んでたし、にこやかだっだし、聴衆の笑いも取っていました。周到に仕込んだネタだったとしても。
CD『初恋』を聴いた時「こんな音楽聴いたことない」と「これこそ私の聴きたかった音楽だ」との相矛盾する思いに同時に襲われたのでした。
プログレを聴くのは、煎じ詰めれば、こういう感想を持ちたいがためなんだと思います。
さらに追記(2017年02月03日)
シルバーエレファントを中心に活動してたのだから、ライヴハウス側が撮ったハイクォリティのヴィデオが多数存在する筈だし、バンド関係者の手許に映像フッテージなり音源なりが豊富にある筈です。
つべに上がってるライヴ映像はオーディエンス撮りのこれ
だけのようです。ちなみにこの曲のタイトルは正しくは「お江戸ラプソディー」です。