命題:「バカと言った者がバカ」は真である

(2015年6月21日、記)

 

 

「バカと言った者がバカ」という慣用句の意味が腑に落ちたのは最近。

 

 

子どもの時これを聞いて「バカと言う」ことと「バカである」こととを関連付ける脈絡も意図も意義も判らず、きょとんとした。

むしろ道徳教育の文脈で、相手をバカ呼ばわりする非礼を窘めるための、機能としては「雷様に臍を取られる」「夜中に口笛を吹くと蛇が来る」「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」の仲間、というイメージで仮に片付けて、身の周りで頻繁に行われるでもないこの言い種を、気に煩うこともしなかった。

 

この慣用句が、ヒトが何故「バカ」と発話するのかを説明する論理であると気付いたのは、だから探求の結果ではなく、ある時このフレーズを久し振りに耳にした時に、これの意味をすんなり理解できる状態にいつの間にか至っている自分を発見した、というべきだ。

 

相手のどこがどうバカなのか分析し説明してみせる作業を放棄する時に、ヒトは相手に「バカ」という言葉を投げる。

何も弁別しない、未分化な負のエネルギーの、ただの塊。

「私は分析能力を持たないバカです」との表明、議論における敗北宣言なわけだ。

 

 

私が嫌いな慣用句に「そのままお返しする」がある。

一見「バカと言った者がバカ」の仲間にも見える。

使われる場面は共通してるかも知れない。

 

私がこれを嫌うのは、「機能しない」言葉だからだ。

何も言い当てておらず、言い返しの言葉としてパワーを持たない。

相手は何のダメージも受けない。白けるだけだ。

ただの塊、分析の放棄であるから、これは「バカと言った者がバカ」の仲間ではなく、「バカ」の仲間だ。