(2015年12月28日、記)
寒いのでセミの話をする。
ふと思った。セミの鳴き声自体に役目は無いのではないか?
あれだけデカい音を出す以上、そこには生命のための何かの機能があり目的がある、と傍から観察するヒトなる私は思ってしまう。
でもあれは副産物、なにかの生命の営みの結果ついでに出てしまう「廃熱」にあたるものなんじゃないか?
エアコンの室外機が大きな騒音を出すからといって、騒音自体に意味を見出すべきか?
音楽じゃあるまいし。
音楽じゃあるまいし。まことに、音楽というのはセミの生命の営みにおける鳴き声にあたるものにちがいない。
音楽の意味は生命の意味じゃない。
音楽をやるにあたっては、それが生命に至る方法ではなく、ことさら音楽にかかずらうことは、生命への「反逆」なのだと、よくよく自覚せねばならない。
摂理から外れて私は生きられない。
でもだからこそ、私の生命をカタに取って服従を迫る摂理に、息が詰まってしょうがないんだ。