(2016年5月20日の記事を改題)
TVやラジオで音楽を聴くことの積極的意味。
なんと、TVやラジオでは、スイッチを入れると、曲が、
途中から始まる
のだ!
聴き覚えのない、短調の曲だ、と思った。
ところが聴き進むと、あるところで、よく聴き知った長調の曲だと気付いた。
例えばハ長調の、
Ⅰ(C)→ⅱ(Dm)→~~
というコード進行の曲があって、ラジオのスイッチを入れた時、曲途中のⅱ(Dm)の箇所だったとすると、それはニ短調のⅰと聴こえてしまう。
瞬間瞬間の音の出来事が、カデンツのコンテクストから自由な、出来事そのものとして聴こえる、ということ。
(瞬時に「ニ短調」という別のコンテクストに絡め取られるけど)
サンプリングの意義というのも、音の出来事をコンテクストから剥がす、というところ以外にはないと思う。
私はサンプリングを多用するジャンルの音楽に疎いが、サンプリングの実例で、原曲のコンテクストごと引っ張って来てしまってるものもある気がする。それはたんなるパクりだ。
既存の曲から、任意のポイントでパンチイン、パンチアウトして2秒間のサンプリングをし、ループさせる。
2秒間の小節の中に新たな符割、新たなグルーヴが生まれる。
パンチイン/アウトのポイントが原曲の小節線と一致するような=原曲のグルーヴをそのままパクって来るようなサンプリングに意味はないだろう。
古典派、ロマン派の和声音楽では、曲頭から聴き始めないと、つまりカデンツのコンテクストに沿わないと、和声を聴き誤ることになるけれど、どこから聴き始めてどこで聴き終えてもよい音楽、というのもあり得る筈だ。
ちょうど、遊歩道ではずっと梢が戦ぎ続け、川がせせらぎ続け、鳥が間欠的に囀っていて、散歩者=鑑賞者はいつでも好きな時にそのコースに入って、好きなだけ自然の音楽を聴いて、いつコースを逸れてもよい、というような。
ドローンとはつまりそういうことなのかな?
私はドラッグの類は経験がないが、眠剤でやや危ない思いをしたことがある。
記憶が続かない。
ヤバい、と思って知り合いに電話しようとするのだが、8ケタの電話番号を押すのに要する時間、記憶を持続できない。
今自分が電話を掛けようとしてることも、誰に掛けようとしてるのかも、その電話番号も、思い出しては、瞬間に消える。
和声を正しく聴くことは大事だけれど、それはコンテクストに縛られることであって、ぎゃくに、耳を、そこから自由にすること、目の前で現に起きている出来事を出来事のまま、瞬間瞬間のままに聴くことは、難しい。
曲途中でラジオのスイッチを入れるか、薬屋に騙されて眠剤と称してジフェンヒドラミンの抗アレルギー剤を摑まされるかしないと。