メモ(詩)

詩作品を bandcamp なり SoundCloud なりに上げられる形にする、という時、歌詞として曲と組み合わせるとか、朗読して曲と併置するとかよりも、詩作品そのものを音楽たらしめる、ということを考えたい。

 

朗読を、音声として扱ってエフェクト処理する、というのもそのひとつではある。

 

そもそも、朗読はふつうにそのまま音楽ではある。

 

でもここではもっと、詩の作り方そのものを、音楽たらしめたい。

いったん作った詩作品を、「文節ごと」とか、時間で測って「3秒ごと」とかに切り刻んだ単位を、

シャッフルして無作為に並べ替えるとか、

作曲と同じ手つきで組織するとか。

 

元の詩を紙の上に文字で書いて、切り刻んで並べ替え、あるいは組織し、出来上がったものを朗読するのと、

元の詩を朗読し録音して音声にして、これを切り刻んで並べ替え、あるいは組織するのとでは、

全く別物だろうか?

 

前回挙げた「朗読出来ない詩」は、音声によらない別の形の発表の場が必要だ。

 

……というようなことを考え始めた端緒は、2人で、詩、というか言葉による何か、を共作する方法を思い巡らしたことだった。

2人がかりで新たに作るのに先立って、とりあえずそれぞれの手持ちの詩なりなんらかの文章作品なりを持ち寄って、これを素材としてマージする方法。

 

それぞれ自分の作を自分で朗読して録音して音声にしたものを、切り刻んで混ぜる、というならまだしも、

文字で書いて切り刻んでシャッフルして並べ替えて出来上がったものを読む、そのとき自分の書いた箇所は自分で担当する、ということをライヴでやるには、綿密なリハーサルが必要で、アンサンブルとして難易度が高くて面白いかも知れない。

作者Aは赤で、作者Bは青で書いておいて、それぞれの担当箇所を色分けで判るようにしておく、などして。

朗読出来ない詩

まず、生涯初めて詩を書いた:

 

月の東矩が1013hPaの等圧線と重なるのを

うなじが感知する

その私にとって

今朝も同じタリーズバリスタズブラックを開栓することは

アポロンの名を唱えつつピエリアの泉で禊をすることだった

私の希望としてではなく

百科全書のまだ開かれないページにある

まだ種名の決まらないハネカクシ科の個体からの美的命令として。

私の失地回復への意思が鉛直に伸びていった先端部の

光沢度を私は知らない。

 

 

で、「朗読出来ない詩」を考えた:

 

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灰街令「こわれた家具のアーキテクツ――こわれた家具Vol.2.0」

ラストで泣ける。

10番目のブロック(40'57"~)で「間」が極端に多くなって、自分の聴覚と意識が「場」に向かってる(それこそ「4分33秒」的に)ことに気付くところへ、最後のナレーション(4'27" 目=1番目のブロック終わりのナレーションに呼応しての)で「うん!うん!」ってなる。

「2019年5月13日、渋谷」で《聴いた》のは作曲者で、「6月2日、三鷹SCOOL」で《聴いた》のは聴衆。