ショスタコーヴィチとショルティ

ショルティシカゴ交響楽団といえば、実家にショスタコーヴィチ交響曲第15番』があった。

フィナーレの「コーダ」に、ショスタコーヴィチにこんな逝っちゃってる音楽があったのか、とびっくりした。

私はショスタコーヴィチのこと全然詳しくなくて、この「コーダ」についても、音楽的な解析(自作の引用がどうとか)も、伝記的位置付けも、全く判らないんだけど、この音楽、いったい何なんだろう?

特殊。だけど深い。真摯を突き詰めた結果こうならざるを得なかった、特殊。

「あとは死に赴くばかり」の音楽、と物語的聴き方をしてしまうのは、最後の交響曲の最後の楽章の最後の部分だから、なんだけど。

「棺桶に片足突っ込んでる」といっても、ヒト個人の感情がまだ働いてて死に向かい合ってる、という気配が無い。悲愴にせよ、安息にせよ。その段階を通り越して、全く「おまかせで」「段取りとして」オートマティックに死へと運ばれてる、みたいな。

死に臨んで「真摯」が発動する。もう音楽によって「本当」を語るしか猶予がない。これ以外の書きようが無い。というかもう、書いてる、というのではない、何か、非情の、大きな力が、容赦なくこう書かせてる。

 

この CD の録音は1997年3月、ショルティ的にも、シカゴ交響楽団との録音としては、最後のものの筈である。

12分20秒目あたりから。