Ⅰ.
美尾洋乃「月の果実~ミツバチ」のサビの歌メロの造形に唸らされる。
3'13" 目 ~ 3'37" 目。
コードの付加音ばかりを辿ってゆくふう。というか、コード進行に縛られず自律的でありつつ、しかもコード進行と密接に関連づく。
最後の音はメロの都合に随って「c」だけど、この時のコードは「B♭」。B♭に対して c は 2nd. だ。
「ほんとうの」の「ん」は「d」だけど、次の「ことは」の「と」は、この時のコードが D♭であるために、「des」になってる。
コード進行が先にあってメロを乗っけてるというより、両者一如で探り当てられたふう。
こういうのって、「作り込む」のか、降ってきて「出来ちゃう」のか。
このメロが、私の中で、David Sylvian 'Pulling Punches' の歌メロと結び付いてる。
似てるのではない。メロの音の択び方、作りこまれた感からの連想である。
メロ最後の音が 2nd. になりがちなこととか。
Ⅱ.
David Bowie 'Life On Mars?'
の 0'58" 目「a → e」の動きを聴くと必ず、オッフェンバック『パリの生活』の、この動画
でいって 0'47" 目 ~ 1'11" 目(、1'38" 目 ~ 2'01" 目、2'27" 目 ~ 2'50" 目)のメロを思い出す。
直接に影響してるかは判らない。でも、記憶にストックされた音楽が、全く無関係な作曲の場面で、作曲者が意識するにせよしないにせよ、メロの動かし方の参照元となる、ということは、ふつうにある。