Caprice のアルバム "Song Of Innocence And Experience"(Prikosnovénie PRIK058、2002年*1)。
すべての声部が16分音符単位でのべつ忙しく動いて対位法を織り上げる。稠密さにおいてバッハのレヴェルだし、ドビュッシーが『反好事家八分音符氏』の中で論じる意味での「アラベスク」の音楽だ*2。
私の好みでいうと、「立った形」の楽想がそれだけゴキンと提示される「みなまでいわない」音楽に惹かれるので、このアルバムの、音数多く埋め尽くす「みっちり」は、うるさく、息苦しく感じる時がある。
アルバム通して、曲調にヴァラエティがあるし、楽想に事欠かないけど、それが「アラベスク」的書法というフォーマット、室内オーケストラというフォーマットの中でのヴァラエティ、という印象。
↑に貼った曲はずいぶん不協和な和声だけど、無調ではないし、歌メロはモーダルの片鱗を残すいかにも歌われるためのメロ。ブリテンに出て来そうな。この「モーダルなメロ」というのが、私の「イギリス的」判定の指標のひとつであるらしい。ロシアのバンドだけど。
1分16秒目のフルートの節とか、半獣神の午後のピッコロを思わせるけど、影響された可能性はあるだろうか?
ウィリアム・ブレイクの詩集『無辜の歌、経験の歌』から詩を採ったプログレ曲といえば、本国イギリスに Alan White の 'Song Of Innocence'("Ramshackled" 所収)がある。Caprice のこのアルバムにも同じ詩に作曲したものが入ってる。'Spring' という曲が、それ*3。
フランスのレーベル Prikosnovénie から出たオムニバス、"La Nuit Des Fées Saison 2 - Message Des Fées"(PRIK126、2003年)。
Caprice は4つのパートからなる1曲 'Viola Floralis' で参加。
ヒトが妖精の世界を表現してるというより、妖精が妖精の地(じ)で行く音楽。
私が最初に聴いた Caprice は "Masquerade" だった。あそこでは、和声や室内オケアレンジの冒険が、陰鬱や皮肉の表出に有効だったので、ここでの妖精を題材とする優美な世界が意外だったけど、こっちのがこのバンド本来の方向のようだ。
シンセの音色の「ニュアンスの無さ」が気にはなる。
"Song Of Innocence And Experience" は完全にアクースティックな室内オケのアナログ感が魅力だったけど、こっちは、シンセ使用や、リヴァーブの感じやその他エフェクトが、電気っぽくディジタルっぽい。