世界観

「恒星は『ポラリスを』中心に日周運動をする」という説明を聞くと、モヤつく。

「厳密じゃないから」ではない。「厳密にいうとポラリスは天の北極から 44'(2000年分点)ずれてるから」ではない。

この説明が、子どもたちの世界観を、根っこから崩すからだ。

 

私のモヤつきの理由は2つある。

①天体は、天球上に、ランダムに定位する。宇宙空間のどの方向に地球の地軸が向いてるか、ということと、宇宙空間のどこに天体が位置を取るか、ということとは、関係がない。

天の北極のごく近くにポラリスが位置してることは「たまたま」なのに、冒頭の説明は、これが「必然」、天の北極には目印として輝星があるものなのだ、宇宙とはそのように都合よく出来てるものなのだ、と子どもたちに思わせてしまう。

②天球上に、肉眼で見えるだけで約6,000個ある恒星が、そのうちのただ1個を中心に日周運動をする、という説明は、その1個=ポラリスに、まるで太陽中心説(日本語で俗にいう地動説)における太陽に相当する役割をイメージさせる。

 

まあ子どもはそこまで馬鹿な生き物ではないのかも知れない。天の北極の位置に2等星があることを「出来過ぎ」と思うだろうし、日周運動の中心にある1個の星とそれに随う6,000個の星、では非対称に過ぎると思うだろう。

でも、天の北極という「位置」を中心に回る、ということと、ポラリスという「天体」を中心に回る、ということとの違いは、念を押して押しすぎることはないと思う。

 

音楽作品をレヴューするのに「世界観」の語を使うのを、いつからか、多く目にする。音楽を作ること乃ち世界観の提示なのは当然な気もする。プログレ評でこの語を見ることが少ない気がするのは、プログレ者の間ではこの「当然」が共有されてるからだろう。