むかし、アメーバピグの音楽フロアで、古楽にお詳しい方がアルブレヒツベルガー「口琴協奏曲」をお掛けになった。
その場は、ジャンルを超えて、音楽に対して意識的な方々の集まりだったのだけど、その中のひとりが、この曲の口琴ソロに差し掛かると、チャットで「wwwww」とか、口琴の口真似で「びよ~~んびよ~~ん」とかやりだした。
いかにも愉快気に、曲のあいだじゅう「びよ~~ん」を繰り返して、騒いでいた。
私は「いや、これは超絶技巧なんです。そこにびっくりすべき」と忠告したのだけど、これは笑って聴くべきものと脳みそが固定してしまってる彼は、私の忠告もその前提に立ったシャレと思ったらしく「wwwww」で返すばかりだった。
倍音でメロディを奏でてるのだとか、基音が1つじゃないということはその分の本数弦を持つ楽器なのだろうとか、説明したのだけど、彼を黙らせることは出来なかった。
口琴=ユーモラスという約束事でしか聴いてない、そこに起きてる音の出来事をそのとおりに聴くことが出来ない、凄い演奏が繰り広げられてることに気付けない。
「びよ~~ん」にせよ「ガチョ~~ン」にせよ、擬音語ひとつで片してしまう耳の注意力の粗雑さこそが音楽の敵だ。
がっかりしたのは、彼自身がミュージシャンだったことだ。そういうものなんだなと。
プログレ部屋で、 "Carnascialia" の、デメトリオのヴォイス・パフォーマンス入りの1曲を掛けたことがあった。
口琴が使われてる曲なんだけど、そこにいたひとりが「びよ~んびよ~ん」とチャットしだした。
彼はイタリアのプログレの通なので、Carnascialia を知らないとは考えられないのだけど、その彼に何故茶化されたのか、わからない。
いろいろ鬱屈してるのでこの際吐き出す。むかし、ある人の、Genesis のベルギーTV のつべを貼ったブログにコメントして、このベルギーTV の 'The Fountain Of Salmacis' の映像をBBCラジオのハイクォリティの音源にシンクロさせた動画のつべをお教えしたことがある。
返信は「これ私が貼ったのと同じ動画ですよね?」
懇切丁寧に説明したことを全スルーされたこともびっくりだったけど、いちばんびっくりしたのは、この人が「『聴く』ということをしない」ことだった。
2つの動画の音声の差すら聴き取れない、聴くとはどうすることなのか問うてみることに思い至りすらしない耳が、Genesis のいったい何を聴き取れるんだろう?