メモ(「おぼえてろ」)

なぜ捨て台詞が「おぼえてろ」なのか。

敵同士なんだけど、ある価値が共有されてる、言葉が通じるという「信頼関係」が前提にある場合に、これが捨て台詞たりうるんだろう。

にしても違和感がある。

 

リヴェンジは、相手がいて初めて成り立つ。

リヴェンジは、「する方」にとって、次の機会までの気持ちの「持続」である。

でも「される方」にとっては、終わった話なのだ。そこを無理に頼みこんで「忘れないでいてくれること、《持続=こちらの都合》を共有してくれることを乞う立場」「先方の一存に縋る立場」なことを正直に表明する言葉。

捨て台詞であるからには何かしら「強がり」であるべきなのに。私の違和感はここにある。

 

違和感はあるのだけど、古き良き長閑に、ホッとする。

 

《サスペンスドラマなどで、憎い相手が苦しみながら死んでゆくのを見てほくそ笑み、ほくそ笑んでいる自分を相手が見ているシテュエイションを以て満足する、というシーンを観ながら、この、相手に思い知らせたいという感情は何だろう?と思ったものです。単に憎い相手を消すだけでなく、ここには、憎しみの対象との間の「コミュニケイション」欲求がある、憎しみを「理解されたい」感情は何なのだろう?と不思議でした。憎しみが成立する条件として、相手を相互理解可能の者として認める、ということが必須なのでしょうか?》

当ブログ過去記事より。

 

ポスト真実とは、こういう信頼・共有を前提にすることが不可能な、言葉の通じない者を相手にする「徒労」のことだろうか。