4つのメモは相互に無関係です。
①
KORG01/WFD で、再生できない曲を打ち込んだことがある。
トラック1~16に「タタタタタ…」とトレモロを打込み、16のトラック全部を同じMIDIチャンネルに設定するのだ。
あるトラック(例えばトラック1)の演奏情報が16のパートを動かす。
同時に、逆にそのトラックは16パート分の演奏情報を受信して動く。
16のトラック全てでこれが起きる。
数秒で、処理できなくなって止まり、ストップボタンもスタートボタンも効かなくなり、電源OFFによってしか回復できない。
②
作曲における自己批評。
「他人が既にやってることはやらない」とか「自分が既にやったことを2度やらない」とか、
「『発想』として根本的に新しくなければいけない」とか「『響き』として既知が含まれてはいけない」とか、
「無駄な音が1音たりともあってはならない、無駄な時間が1秒たりともあってはならない」とか「全ての箇所がインスピレイションまたは彫琢のどちらかによるのでなければならない」とか、
以上は当然の心構えであって、そこを妥協してはならない。
のだけど、ひとりで考え、作業してると、「突き詰め」「研ぎ澄まし」がいたずらに先鋭化し「禁則」で身動きが取れなくなってしまう*1。
その感覚のまま、長い蟄居を破り、うっかり部屋から一歩外に出て、「ユーロ・ロック・プレス」を手に取る。世の作曲家の皆さんはさぞ自らを追い詰め、先鋭の音楽を鳴らしていらっしゃるのだろう、私ひとり取り残されてるにちがいない、と戦々恐々としながら。
月比古『弦は呪縛の指で鳴る』についての評があった。《ケイト・ブッシュの後裔》的なアーティストたちを集めた("Aerial" リリース絡みの)特集記事中で(ページが隣り合ってただけかも)、Vol.27(November 2005)だったと思うが、例によって、目当ての号に限って本棚から消えてて、いま色々確認出来ない。
「捨て曲無し」の評につられて CD を買った。どんな聴いたことのない音の連なり・重なり、思いもよらない着想が提示されてるのか。
蓋を開ければ全てがコンヴェンションだった。この人はいったい、何のために「作曲」をやってるのか???
世の中呑気で、拍子抜けした。
先述の先鋭化した感覚からすると、最後の1曲以外全て「捨て曲」だった。翌日売った。
これが通るんなら、私はいったい、何を困っていたのか?????
(月比古は一例で、「これが通るんなら…」はよくある。)
(そもそも字義通りにいえば「捨て曲無し」は「レヴェル0」の意味だ。全く褒め言葉ではない。)
ちなみに件の特集記事中に、「シルエレ系」として半獣神の午後が挙がってた。さすが中島さん!
③
「作曲方法教えます」かあ……
「作曲方法を探し当てること」がすなわち「作曲すること」なんだけどなあ。「方法に沿わせる」ことじゃなく。基本、1つの作曲方法では1曲しか作れない。
④
ベストメンバーを揃えて、満を持して、突き抜けた傑作が出来る、というのはイメージしにくい。
キング・クリムゾンやイエスを見ると、当座のメンバーで、その場その条件下で出せるアイデアで勝負した結果の傑作群と見える。
そもそも「準備万端」と「プログレ」とは対立概念なのではないか。
*1:他人と関わりつつの作業だと、「不可能性」とか言ってられず、というか不可能なら不可能なりに、有無を言わせず実行させられるのが、健康的で良い。