以下、4つのメモは、相互に無関係です。
①
電車の窓に面と向かって、進行方向と垂直の方向を見てる。窓外の風景を見るという時、ふつうはこうすることを指す。
これはスクリーンに映った2次元の映像を見てるのと同じ。私はこっち側にいて、対象物としてあっち側の風景を見てる。
電車の進行方向を向いて、右と左の目尻に窓外の風景を捉えると、空間の大きな広がりがあって、私はその中の一点に位置して、その中を進んでゆく、というダイナミックな認識になる。
対象物としての風景じゃない。私は3次元の風景に属してる。
②
「目を凝らす」ことには2つの方向がある。
①よく見て、それが何なのか見極める方向。
②逆に、それが何なのかから自由になって、見えるとおりに見る方向。
③
「表があるから裏がある」ことは意識される。
「裏があるから表がある」ことは意識されるとは限らない。
④
思い出し方について。
昔、何かの番組か映像資料だったかで見た、イギリス人の画家。その名前が思い出せなかった。
四角いカンヴァスではなく、不定形の板に描かれた油絵。1点ごとにフレームの形が違う。
なぜそうなるのか、本人の弁。何か大事なシーンを思い浮かべる時、それは決して四角くない筈で、それぞれに相応しいフレームの形がある、というようなことだった。奇を衒ってるのではないのだ。
緑色のまさった画面だったという記憶……いや待て、もしかすると、画面の色ではなく、画家の名前が、green に纏わる、もしくは green を連想させる響きを持つ、名前なのではなかったか?
ググり当てた。Anthony Green だった。ウェブで見つかる限りの作品を見たけど、画面は、緑がまさってはいなかった。