下書き放出 3/3(大リーグねこ2号)

ねこはすぐ消える。

前方に、道路から住宅敷地に入ってゆくねこの姿を認め、急いで駆け寄って覗き込む。

いない。

消える魔ねこ、いや、ねこま。

 

ピグの音楽フロアにいると、1980年代がいちばん面白かった、と仰る方が多い。その方たちがたまたまその時代に多感な時期をお過ごしになり、大事な音楽体験をなさったのだと思う。

私はプログレ者すなわち1970年代スピリットの人なので、映像(PV、ライヴ)で見る1980年代は不遇の時代と映る。

1970年代だって、1960年代の方からすれば「何も無かった時代」と映るだろう。1960年代こそが実験と沸騰のディケイドで、1970年代にそれが洗練されてしまった、と。

私の1960年代認識は、ぎゃくに、来たるべきプログレを準備した時代、となってしまう。それ自体としてはまだ物足りない、と。

本当に恥ずべきこととして、私は未だ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジミ・ヘンドリックスも、ごく浅くしか知らない。

 

私がプログレ者になった成り行き。

2人のアラフィフの影響。

プログレの、少なくとも黄金期については、叔母の書斎で一通り修めたのだが、当時はプログレと意識しつつ聴いてはいなかったし、当然プログレかくあるべしの問題意識も無かった。

後にバンド結成の話が出た時、そこで自分の素地たるプログレ教養が使える、と判った。

叔母はピッチャーマウンド上の星飛雄馬の脚が舞い上げる第1の土埃。もう一人のアラフィフ=バンマスは剛速球がバッターボックスの手前でフィールドをかすめて起こす第2の土埃。

私がプログレを意識化するには、2回、土埃を纏う過程が必要だった。