中村雄二郎『述語集』は、叔母の書斎にあったから読んだのでした。
(以下、記憶は曖昧だし、引用は不正確です)
その中の1項目「劇場国家」は、ギアーツ『ヌガラ:19世紀バリの劇場国家』についてなのですが、項の終わりで、矢野暢『劇場国家日本』に触れ、矢野が「劇場国家」という重要なタームのコノテーション(含意)を不用意にズラしてる(狭めてる)、と批判していました。
そのくだりはよく知られているのでしょうが、あと、叔母の持ち物の『述語集』のこのページには、矢野による短いコラムの切抜き(新聞?)が挟まっていました。
曰く「友人から『述語集』に君の名前が出てると聞いて読んでみた。ははあなるほどと思った。ギアーツを歪めた、いわば悪者として出て来る」
続けていくつか反論したあと、決定的な一文で〆ていました:「私の『劇場国家日本』は、実はギアーツと示し合わせてやったのだ」
これ私への批判らしいんですけど、フェイクニュースの類と文学的フィクションの区別は思ったより難しいのではないかっていう話が今年の米国現代語学文学協会(MLA)の大会セッションのテーマだったんですよね。MLAは全員あたまユルユルなのかな。https://t.co/8uXKIahOCIhttps://t.co/w5UWjHjTOf
— saebou (@Cristoforou) November 14, 2018
先ほどこの御ツイをお見掛けしました。お話の内容は私には難しすぎるし、リンク先の英文の記事は私には読めませんが、ふと上の逸話を連想したので、メモしておきました。
私の教養がものすごく偏ってるのはつまり、たまたま叔母の書斎にあったものだけ読んだから、です。