マッカートニーの作曲は、そのスタイルを模倣する対象であって、後を継ぐべき「精神」ではない。
レノンの作曲には逆に、エピゴーネンが有り得ない。模倣すべきスタイルのポイントを抽出できない。有り得るとすれば彼の精神の後継ぎだけど、現実に誰が彼の後継ぎなのかは、私は世間の音楽に疎いので判らない。無論ここでいう「精神」とは作曲におけるそれであって、音楽以外の要素、平たくいって「政治性」のことではない。
彼の後継ぎであるために、彼に「似ている」必要はない。むしろ真似ることは彼の精神を骨抜きにすることだ。
インスピレイションによる譲れない造形はしかし、しばしば瞬間に属し、必ずしも1曲の長さ分の材料を齎さない。レノンの曲は、目覚ましい独創の箇所もありつつ、1曲を通して見るとムラがある。これは「目覚ましくない箇所」の「間をもたせる」作曲スキルを持たない「無器用」ではなく、これを潔しとしない「誠実」である。つまりレノンはシューマン、ベルリオーズの系譜に属する。マッカートニーはショパンということになろう。
レノンの「造形」で私が一等好きなのは、'Dig A Pony' の、↓の動画で 0'29"~0'39"、
Well, you can celebrate anything you want
Yes, you can celebrate anything you want
の、メロディと、コードだ。
キーは A。