Matching Mole 'Signed Curtain'

この歌詞、ふつうに冗談だと思ってた。

というか最後の行まで読んだことがなかった。

 

This is the first verse

And this is the first verse

 

And this is the chorus

Or perhaps it's a bridge

Or just another part of the song that I'm singing

 

And this is the second verse

It could be the last verse

And this is the second verse

But it's probably the last one

 

And this is the chorus

Or perhaps it's a bridge

Or just another key change

Never mind, it doesn't hurt

It only means that I lost faith in this song

'Cause it won't help me reach you

 

繰返し省略。

冗談というか、仮歌、後に正式に歌詞が書かれるもの、の風情がある。

でも実は、このように「書かれた」ものなのではないか。

と、しぎ・チドリ氏の御ブログでこの曲を聴き直し、ネットで歌詞を読んで、思い直した。

 

この歌詞が無内容=あなたに届かない、なのか?

あるいはもっと、ディスコミュニケイション一般を嘆いてるのか?

 

あるいは世のポップソングへの当てこすりだろうか?

この歌詞は無内容である(最後の3行以外)。

しかしこの歌詞以上に内容のある歌詞が、この世にどれほどあるか。

届けるべき内容を内に持って音楽する者がどれほどいるか。

届けたものを受け取れる聴き手がどれほどいるか。

ヴァース、コーラスという定型に沿わせた「お約束」があるばかりで、

《「I」から「you」に届くもの》

がそこにない。

 

これは「Pop」の問題である。

私にとって音楽は「Personal」のものである。

私の個室でヘッドフォンでキッと集中して聴くものである。

しかるに「Pop」は「Public」の場に供されるものである。

「Pop」は私(聴き手)の個を救済しない。

私はアーティストがその人自身であるのを聴きたいのだが、「Pop」は、聴き手が個であることをも、アーティストがその人自身であることをも疎外する。誰得?

 

ちなみにこの過去記事中で

「このあと頭文字つながりで Problem という単語を出して何か言ったはずだが」

と言ってるけど、

「Pop に疎い私の論は全て Perhaps の域を出ないのだが」

的なつまらない冗談だった気がしてきた。