脳内グルグル


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そういえば昔知り合いでドビュッシー「ヴァイオリンとピアノのソナタ」評価が不当に低い子がいて、フランチェスカッティなんかで聴いてるからだろ、と思ったのだった。

この曲こそドビュッシーの最後最高の到達点なのに。

無論、ヴァイオリニストとして、ジャン・フルニエがフランチェスカッティよりもクォリティが上、というのではない。

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で、カザドシュ、ギーゼキングドビュッシーについて

《まずもって、一世代前のコルトーが付加したロマンティシズムを洗い落とす「アンチテーゼとしての存在意義」だったんじゃないか?》

J. P. コラールについて

《たんにザッハリヒでさえあれば有難がる風潮が当時あって、その中で評価されたのでは?》

との偏見を臆面なく述べたけど、フランチェスカッティってヴァイオリンにおけるカザドシュなのでは?偏見だけど。

 

これはドビュッシーの音楽の微妙さの問題でもあって、「ペレメリ」についても、如何にアバドが凄いといって、どうしてもいっぽうでデゾルミエールを求めてしまう。

ラヴェルにはあまり起きない問題。ラヴェルの場合「即物性」と「象徴表現」との矛盾が少ない。

 

さいきんドビュッシー「フルート、ヴィオラとハープのソナタ」が脳内でグルグルする。ときどきいつのまにか宮城道雄「春の海」になってる。

 

脳内グルグルといえば。

探し物が見つからない時グルグルしだすのは、私の場合「夢の中へ」ではない。

ダンデライオン」です。♪なんで無いの~ん?

 

琵琶湖疏水の畔を歩きながら 「いとしのエリー」を口ずさみ始めた自分に気付いて、理由が判らなかった。

Aメロの最後に差し掛かった時判明した。歌詞が「疏水~」だった。

 

口を突いて出る筆頭は、松平直樹とブルーロマン「幸せになってね」(1970)で、猛暑の中の外出から帰ると「私ヘタってます~」、平衡感覚の悪い私が歩行中しばしば「私ヨタってます~」、こむらがえりが起きると「私こむらがえってます~」と応用範囲が広い。

もっともこの曲はつべに無くて、異名同曲である、敏いとうとハッピー&ブルー「私祈ってます」(1974)がたくさん上がってる。 

 

ラトルについては、私はバーミンガム市響に愛着がある。ドビュッシーラヴェルメシアン

ベルリンフィルがピンと来たことがない。「ご苦労様。で?」といつも思ってしまう。

無論、バーミンガム市響がベルリンフィルよりクォリティが上、というのではない。

ラトル/LSO に、ものすごく期待する。

 

鬼に金棒、ラトルに LSO(踏んでる、再掲)