ピアニカ二人羽織

ピアニカの面白いところは、符割やエンヴェロウプを作るのに、「吹く」人と「弾く」人とが同じ人でなくてもよい、というところ。要するに二人羽織。

 

 

そもそもピアニカは、オルガンなのか、笛なのか。 

 

「弾く」ことによって作れるのは、「高低」と「長短」。「強弱」は作れない。

「吹く」ことによって作れるのは、「長短」と「強弱」。「強弱」には「エンヴェロウプ」が含まれ、タンギングによるアタックとか、音を伸ばしながらの強弱の時間推移とかを作る。これは当然、「強弱」だけでなく、シンセ的発想でいう「フィルターの開き具合」すなわち「音色」の変化を伴う。

 

鞴(ふいご)に相当する役割を「吹く」が担い、一定の空気の流量をキープする、その上で「弾く」が音の「高低」と「長短」で音楽を作る。これは「オルガン」としてのピアニカ。

「弾く」が「高低」「長短」を下準備し、「吹く」が息遣いによって最終的に生きた「音楽」を決定・実行する、という発想なら、「笛」としてのピアニカ。

 

 

「ピアニカ二人羽織」には2つの方向がある。

①従来通りの発想の音楽を、但し2人で「手分けして」奏する

2人で分担するから1人当たりの負担が半分になる、のではない。全く逆で、テンポやフレーズ感を、つまり1つの音楽を2人で共有するには「熟達」が必要だ。そこに妙味がある。

②互いに没交渉にそれぞれの「符割」を粛々と実行する

結果、偶然に、2人の奏者どちらの意図のコントロールからも外れた所で、生まれる音楽。

パフォーマンスの視覚効果として、2人の距離をどう設定するか。

ホースを短くして2人を殆どハグや絡まり合いの状態に置くか。

ホースを極端に長くして、舞台上手と下手にバミって「没交渉」を強調するか。

 

 

もっとも私の鍵盤ハーモニカは「ピアニカ」ではない。

メーカーがスズキ、音域がアルト、すなわち「スズキアルト」である。