ヒトフデガキノホシノカキハジメ(海草の一種)


この過去ツイを思い出したきっかけは、この御ツイートを見掛けたことだった:

 

この図の不可解は、 書き始めと書き手の性格が結び付けられてることと、「どの点から」だけが問われ「どの点に向かって」が問われてないこと。

 

どの点を書き始めに選ぶかの動機はさまざま考えられる。

形を整えることにこだわるのか、手の運びやすさで決めるのか。

形を整えることにこだわるとしたら、この図形をどう捉えているか。例えば私は、左右対称の図形と捉え、それを正しく描こうとするから、まず水平の線を書く。

つまりそこで行われる選択は「どの点から」ではなく「どの線から」だ。そして(右利きの私の場合)「左→右」の向きが書きやすいから、結果的に⑤が書きはじめの「点」として決まる。

この図形を別な捉え方をする方は、その形を整えるための、別な書き順になるだろう。

図形というより、星の「絵」として描く方なら、天地無用で空に浮かばせるだろうし、その場合は「手の運びやすさ」で書き順が決まるのではないか。

 

選ぶ動機がさまざまなことについて、根拠を「性格」に求め得るのか? 

図はTV番組の画面撮りと思われるが、どういう根拠・手続きで、書き始めと書き手の性格とを結びつけたのか、私は知らない。あるいは以上私が書いたことも考慮のうちにあったのかも知れない。

にしてもこの説によると、「①→③」の人と「①→④」の人は同じ性格、ということになるけど、いいのか。