音楽が「社交」なんかであってたまるか、という思いが根本にある。
私の、クラシックの演奏会ドレスや燕尾服への違和感の理由。
私は音楽「を」生きる。演奏会ドレスを着ることは、音楽「で」生きることだ。
むろん、「ファッションはダサい」のは、パンクでも同じ。
協奏曲の「ショウ的要素」「華麗さ」への違和感の理由も、そこに「社交」を嗅ぎ取るからだ。
ただ、音楽そのものの問題として「協奏的作品」を考えることには意義がある。
2つのものを並べる。オケとソロにしろ、オケと合奏にしろ、オケとオケにしろ。
武満「ノヴェンバー・ステップス」では、西洋の語法によるオーケストラと、和楽器(尺八、薩摩琵琶)とが、それらを如何にもうまくブレンドするのではなく、それぞれ別の地平を指し示すものとして、対置されていた。