「天才」について考える。
作曲家を評価するのに、私はこの語を使わない。天才と呼ぶことで、その作曲家のどこがどう天才なのか言い当てるのをやめてしまう。
でもまあベートーヴェンは天才なのでしょう。彼の創作の中心はピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲と交響曲。
彼は「作為」の人なので。コンポジションをそれ自体として突き詰めるための、3ジャンル。
モーツァルトの天才はそこに収まらない。彼の音楽の「自由」が存分に伸べ広げられているのがむしろオペラと協奏曲においてなのは、作為の人ベートーヴェンの天才と、「サヴァン的」といっていいかも知れないモーツァルトの天才との性質の違いを、端的に示してる、ということなのかな。
ツイッターで「#あなたが選ぶピアノ協奏曲10選」というハッシュタグを見掛けた。「選」を2回使うトートロジーはさておき、私がいちばんピンと来ないジャンルだ。ショウ的要素とか、華麗さとか。わたし的には「音楽≒作曲」なのだが、協奏曲は「演奏」が優先される度合いが大きい。
ラヴェルについても当初、オーケストラ曲やピアノ独奏曲に魅了されつつ、『両手』は解らなかった。
でもふと、この曲に「いかにもピアノ協奏曲的に書いてみました」的メタなスタンスを感じて、「例外的に好きなピアノ協奏曲」になった。