今年最初の桜餅を買った。
桜餅ああ桜餅桜餅(桜餅は春の季語)
そのお店では「桜餅」と「道明寺」を売ってた*1。
これは我々アズマビト的に、正しい、というより正誤意識以前に「あたりまえ」の、分類、桜餅観だ。
[fig. 1]
これが、こう
[fig. 2]
で、我々の桜餅は「長命寺桜餅」だという認識の更新は、人生の半ば、ふとした偶然によって齎される。[fig. 1] の認識のまま生涯を終える者も多い。
我々アズマビトはもともと「桜餅」と「道明寺」の両方を知ってて、認識の更新における我々の戸惑いは「カテゴライズの修正」にある。
ところがミヤコビトの事情は、これをひっくり返したもの、というわけではないみたい。
彼らは「長命寺」を見たことがない。
彼らが桜餅分類の議論の場に引き出された時の戸惑いは「これも桜餅やったん?」「ウチらの桜餅は桜餅の下位分類で、『道明寺』ゆう名前やったん?」ではなく、「何やこの春巻みたいな物体は??」である。
以前この記事
の後半「②叙情」で書いた通り、私は、食べ物については、素材の質感を残すものを、抽象度の大きいものよりも好む。
アズマビトながら、じつは2択なら道明寺を選ぶ。
[fig. 3]
我々、という一般化はこの場合避ける。私のプログレ観はこうである。
[fig. 4]
こうではなく。シンフォビトからどう見えてるかは知らない。
*1:ふつうの日本語でいうと「~が売ってた」。