ギャグを解説する

パスカルの三角形の内角の和」は私の渾身のギャグである。

 

パスカルの三角形」は「二項展開における係数を三角形状に並べたもの」:

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つまり幾何学の対象としての「図形」ではない。そこに機械的形式的に幾何学の定理を持ち込むこと、そのどこに「ユーモア」があるのか。

①文脈を「読めない」=「KY」「クソリプ」の体を装いこれを笑うことがユーモアなのか。

②文脈を「読まない」こと・攪乱することで、言葉を自由・柔軟に運用することがユーモアなのか。

 

ヒトは「言葉を使う」のか「言葉に使われる」のか。

言葉は真理を言い当てるための道具なのか、言葉そのものが自律的に動くのか。

 

「形式を、わざと硬直したやりかたで律儀に、当てはめる」これに近い:

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 44ひきの ラララ

やどなしニャンコ

6列になって ラララ

すすめや すすめ

6×7=42 ラララ

しっぽくんでくる

あまった2ひきは ラララ

しっぽ立ててくる

 

サンテグジュペリ星の王子さま」に、

「人は気の利いたことを言おうとすると少し嘘をつくことがあります。前章で点燈夫の話をする時、私はどこまでも正直であったとは言えません」

という箇所があった(不正確な引用)。

あの点燈夫の件も、ユーモアの出処は文章の「形式」にある。

 

ユーモアを自ら解説することこそ最もユーモアから遠い。通じなければ捨て置くのが唯一正しい処置だし、通じない責任は一に提出者の側にある。

 

「この無限の空間の永遠の沈黙が私を戦かせる」

このフレーズが、私がパスカルについて知る全部だ。中村雄二郎(『述語集』?)に出て来た。ニュートン以降の「均質無限空間」の中で、「象徴」を失って、生きられなくなったヒト。

象徴的意味は、中村雄二郎的意味と言い換えるのが、私にはまさにピンと来る。