私の思うプログレ、私の思わないプログレ

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どこかで BAROCK PROJECT の悪口書いてた筈と思ってたら、それもここだった。

《(私のプログレ観について)とんがったままごちゃついて、多様な可能性に開かれて、聴き手の耳を自由にし活性にする。この「ありよう」が、作品としての「完成度」に優先する。

完成度を測ることはものさしを前提とする。プログレは逆にものさしを疑うことだ。

そしてこの私のプログレ観を決定したのが、この『狂気』だった。

例えば、最近やけに好評の BAROCK PROJECT が、私には「約束づけられた問いの立て方への約束づけられた回答のし方」にしか聴こえなくて、全くワクワクしないのは、私のプログレ観がつまりそういうことだから。》

先日日本のプログレバンドによるフェスがあった。

ツイッターでフォロー申し上げてる尊敬するミュージシャンの方が司会をなさっていたので、悪口は言わない。第一私は予告の動画しか見てない。

「『プログレ』の名の元で一番やっちゃいけないこと」と私が思ってることをやってのけてる、「プログレ」の括りで一緒くたにされたくない、面々。

「保存会」なんだよなあ。それってプログレの精神からいちばん遠い。

本番見たら掌を返してたかも知れない。にしても各種アストゥーリアスだけは居たたまれない。純粋に音楽上の理由だけじゃない、個人的な事情の方が大きいけど。

 

「私はプログレファンではない」と言い切ってしまうことが、シンプルだし、正しいし、ずっとそう感じてる。

プログレを聴きだしたのはワクワクしたからなのだから、そのワクワクへの渇望だけを保って、今日は Hiatus Kaiyote を聴く。