Syd Barrett、Donovan、そのほか

Syd Barrett "The Madcap Laughs" (1970) では、2曲目 'No Good Trying' の歌メロの出だしの動きが最高にかっこいいと思った。

ド→シ→シ♭→低いド、2つの短2度(最も狭い順次進行)に続く、短7度のいきなり幅広い跳躍進行。

シ♮で長音階を開放的に響かせ、直後にシ♭の4度圏の閉塞性でこれを打ち消すのもかっこいい。

バレットなればこそのぶっ飛んだ着想だと思った。

 

ところが。

やや遅れて、Donovan 'Sunshine Superman' (1966) を知った。

こっちのが古い。

歌メロの出だしに、上述の音程関係が既にある。

バレットはこれを、意識的にせよ無意識的にせよ、参照したのだろうか?

 

シューベルト「野ばら」の歌い出しの音形が、モーツァルト魔笛」に既出と知った時のような。

ヴェルヴェッツ「ファム・ファタール」を聴いた時、レノン「イマジン」のAメロってこれのパクリじゃん!と思った時のような。

 

アメーバピグの音楽フロアで教わった、一等好きな動画:

 

'Sunshine Superman' のAメロについては、渋谷系の、FPMだったか誰だったかがパクってた(サンプリングという意味ではなく)が、つべが咄嗟に見つからない。

ここに紹介する価値もないが。

私が渋谷系を嫌いな理由は何だろう?

習俗と結びついてることが、音楽の自律と純粋を貴ぶ私には我慢ならない、のかなあ?

なんしろ音楽は超俗と思ってる。日常生活の中にあって、ファッションとして消費される音楽は居たたまれない。

とか、いろいろ思いつくけど、いちばんの理由は、私の大事に思ってる音楽の分野と、渋谷系とが、人脈とかファン層とかにおいて近接してること、だと思う。ごっちゃにされることへの嫌悪。

「えっ、渋谷系嫌いなの?!」と驚かれそうで、まさにそこに「嫌い」のキモがある気がする。

「テクノ」とか「メトロ系」とかについてもそう。

たしかに細野晴臣は別格だし、上野耕路鈴木さえ子には、個別に、大好きな作品があるが。

 

ちなみに私がアルバム「イマジン」を好きになれないのは、ドラムのせいだ。

「ジョンの魂」は、音像のソリッドさで、その後のレノンのアルバムから際立ってる。そしてそれはリンゴのドラムのソリッドさのせいだ。

アラン・ホワイトが叩くと(プラスティック・オノ・バンドでもイエスでも)、音像が、分離の悪いマッスになる。

といいつつホワイトを見直した、という記事: